さっきまで近所のレストランで昼食をとってた。ここはフランス家庭料理の店らしいのだが、でもって自分はフランスの家庭料理がいかなるものか知らないので、ここの味がほんとにそれ風なのかは分からないが、まあまあおいしいので時々いっている。しかし、お客さんの数に対して店員少なすぎでいっつも待たされる。そんなわけでいつもの通り文庫文を持っていった。石田衣良「娼年」である。待っている間にまず解説を開く。姫野カオルコだ。懐かしいなあと思った。

 僕は初期の彼女の作品(「ガラスの仮面の告白」とか「ひと呼んでミツコ」とか)がとても好きだった。あの面白理屈っぽい文章のファンでした。彼女の論理は独特で、なんと言うのかどの本を読んでも一貫しているところがすごいと思う。特に色恋沙汰関連の考え方は独特で、最初はそれにひかれ、その後何故かだんだんその部分が鼻につくようになったのだ。・・・といっても未読の人には何のことかさっぱりわからないだろうなあ。もう何年も彼女の作品読んでないから具体的にかけないのが悔しい。再読しなきゃとこれ書きながら思いました。

 なんでこの文章を書いてるかというと、懐かしかったことのほかに、「なんか変わった?」と思ったから。もちろん小説と人の作品の解説ではトーンが違うのは当然なのだけど、以前感じた「面白いけど閉じた、あるいはかたくなな」印象がない。やわらかいんです、文章が。これは最近の読まなきゃ、と。で衝動的にこの文章を書いております。そんなわけで「娼年」は未読のまま。姫野さんの解説は読む気をそそる秀逸なものなのでこれをアップしたら読もうと思っています。

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