輝きを取り戻した快心作。へヴィーローテーション中です

Luminous Halo(ルミナス・ヘイロー)〜燦然と輝く光彩〜

長くやっているバンドやユニットはほとんど初期の輝きがまぶしければまぶしいほど、その後の活動は困難になるものだと思うのですよ。たいていは成功した方法論にそって作品を作るから次第に新鮮さを失っていくでしょう?なんとか目先を変えて新しいことをやろうとしても、そのユニットには合わなかったりするし、合っていてもファンからそっぽを向かれたりする。あるいはメンバーの意見が合わなくなるか。正攻法でマンネリをのりこえようとすると今度は過去の自分が大きな壁になって立ちふさがる。

そういう場合、そのアーティストについては初期の作品ばかりを聴くことになるわけです。別にその人を嫌いになったりはしません。かつての作品は確かに素晴らしいのだし。いつかまた凄いのを作ってくれないかな、と思って新作が出ればチェックし続けます。

Port of Notesもそうだったんです。初期のEPが大好きでした。

  • Port of Notes(1997年4月25日)
  • With This Affection(1998年5月23日)
  • more than paradise(1999年7月30日)
  • Salavah(2000年5月31日)
  • Lilac(2000年6月25日)

wikiから転載しましたが、すべて2000年以前のリリースなんですね。かっこよくてクールなのに情感があってさびしげで・・・繰り返し繰り返し、聴きました。この中の収録曲の何曲かは名盤といわれるComplain too much(1999年1月23日)に入っていますが、EPのアレンジの方が好きです。

その後の作品も聴いてたのですが、あまりはまることが出来ませんでした。曲も演奏もけっして悪くない作品なんですけど、なにか迷いが感じられて。初期の彼らは基本的にDSKの曲を畠山美由紀が歌う、という構図だったと思うんです。美由紀さんの歌声はもちろん不可欠なんですが、DSK主導のユニット。その後、畠山美由紀がソロでデビューし、他にも様々なユニットで活躍して、古巣に帰ってきたとき、DSKの曲を歌う、という構図が不自然になったのかもしれません。

DSKもソロ活動して表面上、やってる音楽に違いが出てきていたし、Port of Notesの立ち位置が曖昧になってるような気がしてなりませんでした。この頃のアルバムを聴くとなんとなくお互いに遠慮しながら以前のPort of Notesっぽい作品作りをしているような感じ。・・・邪推かも知れないけど。

本作を聴くとそういう部分がまったく感じられません。いい作品を作ることに集中している。その結果、以前とはかなり曲の感じは変わったにも関わらず、Port of Notesにしか作り得ないものが出来上がっている。前よりも情感たっぷりのでも相変わらずさびしげで、でもポップでもあって・・・「今の彼らはこうなんだな」と素直に納得できる素晴らしい楽曲が並んでいました。

このインタビューではこんどのアルバムについて2人はこんな風に言っています。

畠山 「そうですね……。すごく手前味噌なように聞こえてしまうかもしれないですけど、こういう作品って今までなかったように思うんです。曲の雰囲気自体、洋楽とも邦楽ともいえない感じだし。自分たちとしては、すごく画期的なアルバムを作ることができたと自負しています」
小島 「曲作りに関しては、すごく悩んで試行錯誤したんですけど、最後はすごく楽しみながらレコーディングすることができて。

やっぱり突き抜けて新しい何かを生み出すのは大変なんだろうなあ。今回外部プロデューサーを立てたのも新鮮さを増す、いい効果を生んでいると思います。

とにかく今回は楽曲がよくて、演奏も素晴らしいです。完成度が高いのに肩も凝らず何回も聴けます。今までファンだった人はもちろん、「なんかいいアルバムないかな」と思っている音楽好きや、部屋でバックにかけておくのにちょうどいい音楽を探している人とかにも聴いてもらいたいですね。

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